単なるヲタ男なシケぶろぐ@Deep

すべての人が輝くように

本当に必要な情報が手に入らないことについて


インターネットが安価で利用でき、さまざまな情報がより簡単に手に入るようになった、しかし、最近、本当に知りたい、ほしい情報がなかなか手に入らないように感じることが多々ある。


身近なとこでは、おいしくて安いランチを食べようといろいろ調べてみると、確かに飲食店の総合サイトにいろいろとお店の情報が多数出てくる。そのようなサイトはいかに集客するか、選んでもらって利用してもらうため、さまざまな見せ方や工夫をしている。その内容が過剰に粉飾されているとか、写真が実物と違うなどというのはよくありがちだが、それなりに情報が手に入る。

しかし、私が情報がなかなか手に入らないと思っているのは、実はあれこれインターネットで調べてアタリをつけて行ってみると実はその近くのお店でよりお得なランチをやっていたりするのだ。通りには、表のメイン通りと裏通りがあったりする。1階だけでなく、6階でも営業していたりする。もちろん、メイン通りや1階などの方が目につきやすく入りやすいのは事実だが、実は裏通りとかにあるお店の方がお得なランチをやっている方が多く、またその情報がインターネットなどではなかなか手にないらない。

◆ヲタ’s EYE『本当に必要な情報が手に入らないことについて』


インターネットが安価で利用でき、さまざまな情報がより簡単に手に入るようになった、しかし、最近、本当に知りたい、ほしい情報がなかなか手に入らないように感じることが多々ある。


身近なとこでは、おいしくて安いランチを食べようといろいろ調べてみると、確かに飲食店の総合サイトにいろいろとお店の情報が多数出てくる。そのようなサイトはいかに集客するか、選んでもらって利用してもらうため、さまざまな見せ方や工夫をしている。その内容が過剰に粉飾されているとか、写真が実物と違うなどというのはよくありがちだが、それなりに情報が手に入る。

しかし、私が情報がなかなか手に入らないと思っているのは、実はあれこれインターネットで調べてアタリをつけて行ってみると実はその近くのお店でよりお得なランチをやっていたりするのだ。通りには、表のメイン通りと裏通りがあったりする。1階だけでなく、6階でも営業していたりする。もちろん、メイン通りや1階などの方が目につきやすく入りやすいのは事実だが、実は裏通りとかにあるお店の方がお得なランチをやっている方が多く、またその情報がインターネットなどではなかなか手にないらない。


飲食店の総合サイトでは、その飲食店が掲載料を総合サイト側に払ってまで載せてもらっているのが大半だろう。ある程度、総合サイトの運営側も監視しているだろうから、情報に関する信憑性や地図もありわかりやすい。かといって個人でブログなどに掲載されている食べ歩き情報が不正確で使えないわけではない。

実は、飲食店の総合サイトも個人ブログもその情報を何らかの理由で、情報を配信してないければ、インターネットからはその情報が手に入らないという前提を理解しておかなくてはならない。どんだけ情報化社会などと誇らしげに言っても、その情報がどこかから、文書などにデータ化されていないと、どんな優秀なシステムをもってしても、その情報は手に入らないのだ。

そして、多くの場合、インターネットで手に入る情報の多くは、誰かにとって都合のいい情報であり、自分にとってはどうかわからないし、本当の情報はなかなか手に入らない。

最近、北の発電所について、今どのようになっているのか、インターネットで調べてみたのだが、やはり本当の情報が見つからない。タンクを何基作っていて、あとどのくらいでいっぱいになるなどの情報が間違っているというわけではない。政府が事実を隠していたとか、もはやどうでもいい。事実を隠していたのは、さまざまな理由があるしても、そもそも隠さなくてはいけないようなクリティカルな情報などがもっとも重要な情報でないだろうか。誰かが隠していなくても、全く状況がつかめない。何ミリシーベルトに対する人体や環境への影響もさまざまで、何にどんな影響があるの正確な情報がわからない。

まるで、癌と同じだ。癌にはさまざまな種類があり、さまざまな病状がある。そして、その癌自体、実際どれだけの影響があって、どのようなものか正確に把握しているのは医者、それも専門医ぐらいではないだろうか。そもそもみんな癌自体誰もが持っているとも言われているようだ。そして、大体の病気の情報の最後には、命を落とすこともあるとなる。風邪だって、悪化すれば、命を落とすことは誰だって分かる事だろう。そんな情報は、別に求めていない。

お得なランチの情報が手に入らなくても残念賞だが、災害時の情報や命にかかわるような情報は正確に把握する必要がある。また、悪意の有無にかかわらず、レビューによる情報の乱れにより、本当にいいものなどが埋もれてしまっているのではないだろうか。日本の誇る世界最高水準である職人の作った包丁は陰を潜めてしまっているのも嘆かわしい。

では、どうすれば本当に必要な情報が手に入るのか。それは、私にもよくわからない。ただ、小説やビジネス書をただ読むだけではあまり意味がないのと同様に、行間を読む必要がありそうだ。情報の行間を読むというのは、私が勝手なことを言わせてもらうと、その情報を覚えるのではなく、理解し自分なりに解釈し、ではどうするのかを「考える」ことだろうと思う。

新聞や情報系サイトには、事実ぐらいしか書かれていない。しかし、実際にはその事実が自分の身に影響を及ぼすようなことだとしても、自分はどうすればいいのかなんて新聞や情報サイトには書かれてない。だから、自分でアクションは考えるしかないと思うのだ。

情報があふれかえり、同時に情報が金になる時代、誰がどこでどんな情報の罠を仕掛けているかわからない時代になった。何も考えなくても検索エンジンでキーワードを検索すれば答えは見つかるように思われがちだが、実際はいつの時代も変わらない、いや、多くの情報がより簡単に手に入る時代だからこそ、今「考える」という人の基本プロセスの重要度が増しているように思う。

人から聞く情報や自分で見た情報が必ずしも正しいとは限らず、すごいスピードで物事が変化していく。ダーウィンの進化論では、「強いもものが生き残るのではなく、賢いものが生き残るものでもない。変化に対応できる者が生き残る」と言っているらしい。

確かな情報が分かりにくく、私のように自分勝手なことばかり配信している情報の雑音が多い時代になってきている。最近、何かの本に書いてあった単なる受け売りな言葉だがそれがシックリくるような気がする。
「自分が正しいと信じて戦い。自分が間違っていると思って(人の話などを)聞く」

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